4年生が東京学芸大学硬式野球部での時間や仲間、最後の一年にかける思いを語る「最後の春に向けて」。
今回は、西脇宗孝(4年/小山台)です。それではお読みください!
A類保健体育科4年の西脇宗孝です。残り僅かとなった大学野球を振り返り、野球を続けてきた理由を振り返りたいと思います。拙い文章になってしまいましたが、最後まで読んで頂けると幸いです。
私は大学で野球を続けると決めたときに、姉に「大学までスポーツを続ける意味って何なの?将来それが何になるの?」と問われたことがあります。また中高の友達から「プロ野球選手にでもなるの?」とも言われました。反対に「大学まで野球を続けてすごいね、偉いね」と言われることも多々ありました。その時に「大学まで野球を続けることはおかしいことなのか?」と疑問に思いつつも、明確な答えを出すことはできませんでした。「高校の時以上に活躍して、チームの勝利により貢献できる選手になりたい」という想いがあり大学でも継続することにしましたが、今考えると私の中で続ける意味が漠然としていたため、明確な答えを出せなかったのだと思います。以来、大学入学時から現在に到るまで、大学まで野球を続ける意味について、自身に問い続けてきました。正直なところ、最初の1年半はその答えを見つけることはできませんでした。中学や高校の友人が、留学し語学を磨いたり、起業をしたり、サークルに所属し、学生生活を謳歌したりする姿を見て、本当にこのままでいいのだろうかと考えることもありました。それどころか野球を続ける自分自身を、どこかで卑下する自分もいたようにも思います。
しかしその中でも私なりに、野球に対して真摯に取り組み、向き合ってきました。そしてようやく去年ごろから、大学で野球を続ける意味が明確になってきたように思います。きっかけは大学での授業で「人々はなぜスポーツをするのか」ということについて学んだことです。その授業の中でスポーツの基の意味は遊びであることを学びました。そして人々はスポーツを含めた遊びの中で、その行為の面白さに向かって遊ぶのだということを知りました。大学で野球を続ける意味を考えてきた私にとって、その考え方がしっくりきました。
それ以来、私は野球=遊びだと捉えるようになりました。そして野球を続けているのは、野球というスポーツが私にとって面白いからだと再認識しました。このように言ってしまうと浅く聞こえてしまいますが、結局はここに帰着するのだと思います。技術を探究する面白さ、試合でヒットを打った時の言葉に表せない感覚、そしてみんなで勝利をもぎ取ったときの喜びなどです。様々な面白さがあると思いますが、野球を通して何かを得ようとしているのではなく、その行為自体が面白く、魅力的であるので続けているのだと思います。中高と目の前の結果を追い求めていたため、そのことを忘れていましたが、再認識してから、純粋に野球が上手くなることを楽しみ、充実した毎日を送ることができています。
そして野球に本気で取り組み、楽しむことができるのも残りわずかとなりました。大学野球に情熱を注ぐのも、大学生活でしかできないことのうちの一つだと思います。貴重なこの4年間において野球を選択したからこそ、最後の最後まで野球を楽しみ、上手くなり続けたいと思います。そしてこの春は同期の仲間全員で臨むことのできる最後のリーグ戦となります。全員で2部優勝・1部昇格をつかみ取り、喜びを分かち合いたいと思います。