最後の春に向けて⑦ 酒井圭太ー努力する才能ー

4年生が東京学芸大学硬式野球部での時間や仲間、最後の一年にかける思いを語る「最後の春に向けて」。
今回は、酒井圭太(4年/越ヶ谷)です。それではお読みください!

こんにちは。新4年の酒井圭太です。
最後の春ということで、小学生のころから考えている自分自身のことについて書こうと思います。

私は小学校1年生から野球を始めました。もっと言えば、幼稚園の頃から近所の公園で、1つ上のお友達と野球をしていました。私に初めて野球を教えてくれたのはそのお友達のおじいちゃんです。おじいちゃんありがとう。ただ率直に言うと、良く続いたなというのが一番の感想です。熱しやすく冷めやすい性格の私が16年間も同じスポーツを続けたことが驚きです。よく頑張りました。

私は小さい頃から運動神経が良かったです。自分でこんなことを言うのは少し恥ずかしいですが、かなり良かったと思います。何をやらせてもすぐこなすことができました。私には運動に関して他の人の動きを真似て、表現できるという才能があったのだと思います。

しかし努力する才能はありませんでした。全くないと言ってしまうと、小学生の頃にバッティングセンターに連れて行ってもらったことや持久走の練習を少しだけやったことを裏切ることになるので、そうは言いませんが、他の人よりは圧倒的にないというのは早くに気付きました。
告白すると、私が自分の意思で最後に素振りをしたのは、中学1年の夏です。しかもその日は、友達が家に来るから努力している姿を見せておこうという不純な理由でした。
しかし大学では、目標を持ち上手くなろうと努力をしている人たちがたくさんいました。
練習の開始時間よりもずっと前にバッティング練習をしている子やバッティングについて30分も40分も話している子、肩が脱臼しかけるまで素振りをする子などです。そして私は努力することも才能の1つなんだなと納得できました。努力できることも才能の一種だという言葉や考え方は知っていましたが、嘘だと思っていました。なにか特定の分野における圧倒的な才能の前に、努力という才能は太刀打ちできないと思っていました。

しかし、彼らがその考えを覆させてくれました。1部の舞台でたたかう彼らの姿を見て、私の考えは間違いだったと知りました。ちょっとだけでも努力する才能を分けてほしいくらいです。私は彼らが本当に羨ましいです。そして羨ましいと同時に尊敬しています。私は彼ら、特に同級生のことがとても好きです。学年旅行だって何回も計画したいくらい好きです。そんな羨ましくて、尊敬できて、大好きな彼らはきっとやってくれるでしょう。私も早いところ怪我を治して思いっきり投げたいです。例えそれが叶わなくても、私なりの方法で彼らの支えができれば良いなと思っています。がんばりましょうね。

最後にお父さん、お母さん今までありがとうございました。何がどうと細かくは言いませんが、全体的にありがとうございます。感謝しています。他にも見に来てくれたおじいちゃんやおばあちゃん、支えてくれた人たち、ありがとうございます。あと少しだけお付き合いしていただければうれしいです。


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