引退メッセージ 三谷竜平

連日掲載している4年生による引退メッセージ。
今回は攻守の要、三谷竜平(下妻第一)です。どうぞ最後までご覧ください。

こんにちは。東京学芸大学硬式野球部4年の三谷竜平です。拙く、大変長い文章となっておりますが、最後まで読んでいただけると幸いです。

・4年間のベストプレー
「令和4年秋季リーグ戦 vs. 東洋学園大学 池田投手から放った右越え本塁打」
私の高校野球は、プロに進んで活躍している好投手との敗戦により終わりました。この投手を前に、チームでは、バットを短く持ち、ミートすることが指示されました。そして高校野球最後の打席、私の最も得意なアウトコース高めストレート、確実に捉えたように思いましたが、惜しくもライトの頭上を越えることなく、フェンス手前で捕られてしまいました。夢に出てくるくらい、悔しかったです。
浪人して学芸に入り、今度こそ「誰もが認める好投手からのフェンスオーバー」を目標に掲げ練習に励みました。3年まで、この目標に取りつかれすぎて自分の実力をうまく伸ばせていませんでした。しかし、自分の代になり、選手としての野球はここで終わりだと覚悟を決め、誰よりもバットを振りました。また、試合は心から野球を楽しむことを考えました。春はこのマインドがうまくはまり、タイトルを獲得することができました。ただ、相手が一部で活躍した他のチームメイトに力を割いたから私への負担が減っただけだと感じました。タイトルを獲得したことで、秋は相手の警戒度も変わります。打順もあがり、真にチームの主砲となりえた自覚もありました。この秋のリーグ戦が、本当の自分の実力での勝負になると感じていました。
このような背景を踏まえたうえで、迎えたこの打席。相手は春に投手タイトルを総ナメにした東洋学園の池田投手。それまで私は球種をしぼり切れず、2三振に抑えられていました。しかし、自分を信じ、迷いを捨て、考えることをやめ、感覚に身を任せることにしました。初球の変化球を見逃し、2球目。私の最も得意なアウトコース高めストレート。思い切り振り抜いた打球はライトの頭上を越え、フェンスも越えました。高校野球での悔しさ、選手として迎える最後の公式戦、誰もが認める好投手との対戦、チームとしても大一番の試合での先制本塁打。すべての条件がそろったこの打席は、これまでの野球人生を振り返ってみても、間違いなく私のベストプレーと言えます。

・4年間で嬉しかったこと
「令和4年秋季リーグ戦 vs. 杏林大学 入れ替え戦勝利」
同期が力を存分に発揮し、躍動して勝つことのできたこの2試合は間違いなく最高の瞬間でした。
私が東京学芸大学に進学しようと決めたのは、4年前の秋の入れ替え戦を観に行った時です。それまでは他の大学を志望していましたが、私の母校から東京学芸大学へ進んだOBの方の熱心なお声がけと、当時の高校野球の部長さんとお話をしてみて、試合を観に行ってみることにしました。初めて見た大学野球はとても新鮮で、真剣勝負を心から楽しんでいるように観えました。そして、私もこのチームで野球がしたいと思い学芸に決めました。
私が学芸に進むか悩んでいた時に観に行った試合で当時のチームは一部に上がり、受験を突破し入学でき、野球部で4年間を過ごし、最後のシーズンでまた一部昇格を決めた。出来すぎた話だと思います。この試合で、私のように進学先に新たに学芸を選択肢に入れてくれた子がいたらうれしいです。学芸は最高の環境です。

・4年間で苦しかったこと
「令和3年秋季リーグ戦 一部での日々と入れ替え戦」
一部での日々は、野球がしたくないとまで思うほどに、私にとってはきつかったです。
投手陣は河野さん、加藤さん、邑澤さん(共にR4年卒)、一條(新4年/藤代)など、一部でも抑えていける能力を備えた選手がそろっていました。しかし、実際に抑えることがとにかく大変でした。一部の打線は一番から九番まで切れ目なく素晴らしい打者がそろっています。皆さんそれぞれに強みがあって、それを分かっていて、自身の苦手をどう対処するかも考えていて、かつチームにおける自分の役割も自覚しています。公立校が私立を倒すためには、とにかく自分たちのペースで試合を進め、対戦相手に実力を出させないことが条件だと考えています。そのために私が果たすべき大きな役割が配球です。対戦までに各大学の主要選手、打線の切れ目、どこでアウトを確実に取り、どこまでが許容範囲なのか、それぞれの弱点はどこかなどをひたすらシュミレーションして臨みます。そして試合中には、実際に見た打者の雰囲気はどうか、これまでにどんな配球をして、どのように打ち取ったか、何に狙いを絞ってくるか、ベンチでどんな指示が出ているか、ありとあらゆる情報を取り込み、勝負しました。投手たちがとにかく投げることだけに集中できるよう、私にできる準備を怠りませんでした。
しかし、結果的に打たれてしまうこともありました。変化球を使いすぎてけがをさせてしまいました。無理して投げているのをわかっていて、止めることはできませんでした。私自身も途中から思うようにいかず簡単に盗塁を許すようになってしまいました。苦心して打ち取った打球をエラーするチームメイトを許せる心の余裕はありませんでした。加えて、まったく打てませんでした。闘志で引っ張る前主将の三宅さん(R4年卒)、経験豊富な市原(市立川越)、センス抜群の迫田(新3年/春日部共栄)、何かをつかんだ西脇(小山台)、得点圏で絶対に仕事をする武者(新4年/小松川)、彼らに比べ私は何も結果を出せませんでした。試合に出ていながら何も貢献できていない自分と向き合いませんでした。最低でした。
こんな心理状態で臨んだ入れ替え戦。結果は杏林大学にサヨナラ負け。悔しさよりも、この日々からの解放の気持ちが強く、「やっと終わった」と思ってしまいました。試合が終わり、河野さん、加藤さん、邑澤さん、三宅さんら大好きな先輩方が涙を流し引退しました。私は彼らにどんな顔をすればいいのか、想いを託される資格があったのか、答えは「否」です。そんな自分がとても情けなかったです。だからこそ、私がこのチームを引っ張り、試合を決める存在になると決めました。この決意とそこからの行動が、今年度の活躍につながったと思います。

・チームに貢献できたこと
「フリーでの生きた打球」
フリー打撃で私のバットから放たれた打球は、外野手の皆さんがどれだけ後ろに守ろうと、その頭上を越えていきます。外野手の皆さんは私の打球を追うことで守備範囲を広げたり、日々己の限界に挑めたりしたことと思います。現主将の芝くん(新4年/松山東)は好プレーが目立ちました。さすがです。
また、打ち損じた内野へのゴロは、内野手の皆さんに野球というスポーツの危険性を知らしめたと思います。私の打球をよける後輩もいましたが、本能に従ってください。その判断は間違っていないと思います。

・後輩に一言
「ところで平凡な俺よ下を向いている暇はあるのか」
これは、私の好きなセリフで漫画のキャラクターの言葉です。大学で野球を続けていると、チーム内外に関わらず、明らかに自分よりもうまい選手を目にすることが増えると思います。足の速さ、肩の強さ、守備力、スイングスピード、打球の飛距離、ミートの巧さ、その他諸々、自分があちら側の人間ではないと思い知らされる瞬間があると思います。でも、そこで諦めてはいけません。自分には何が足りないのか、他の選手のどんなところがすごくてその要因は何なのか、その差を埋めるには何をする必要があるのか、冷静に分析し、うまくなりたいという気持ちを糧に、少しずつ積み上げていってほしいと思います。ある時を境に大きく変わることができると、この一年で実感しました。でもそれは、いままでの積み重ねがあってこそだと言えます。成長するためのヒントは時間、場所を問わずどこにでもあると思います。考動が大切です。
また、これから迎える春のリーグ戦で戦う相手は、才能あふれる選手たちがさらにしのぎを削ってできあがったチームばかりです。自分の実力を発揮することもできず、うまくいかないことが多々出てくると思います。でも、できることをそれぞれが自覚し、チームとして戦っていけるかが大切なことだと思います。私は勝手に一人で抱え込んでしまって、うまく立ち回ることができませんでした。団結して、結果よりも過程を大切に、野球を楽しんでください。

・家族に一言
父へ
野球が全くわからないのに、投げ方や打ち方を勉強し、どんなに疲れていても練習に付き合ってくれました。私にアドバイスをくれるとき、絶対に前置きで「俺はわからないけども」と言いますが、少なくとも私のことをよくわかってくれていました。不器用だけど、まっすぐで、いつも支えてくれました。どんなに苦しいことでも嫌なことでも逃げずにコツコツ努力する姿勢を、背中で示してくれました。お身体にはお気をつけて。ありがとう。

母へ
どんな時だって私の味方で、献身的なサポートをしてくれました。少年野球時代、毎回帰りの車の中で振り返りをしました。活躍できたことをほめてくれることもあれば、自分の失言や態度を叱ってくれる時もありました。でも、絶対にプレーのミスを責めませんでした。だからこそ、どんなことにも臆することなく挑戦することができたし、やってみようという気持ちになりました。上達するために必要な習慣はこの日々を通して身に付けることができたと思います。そして成長しても、私の置かれている環境、立場に合わせて的確にアドバイスをくれました。精神面だけでなく、健康面でもいろいろお礼を言いたいです。丈夫な体に産んでくれました。これまで常に第一線で活躍できたのはこの肉体あってこそだと思います。食事もいろいろと考えてくれたし何よりも好きな時間です。ありがとう。

弟へ
私が野球を好きになって続けてこられたのは、お前の存在あってです。いつだって弟の方がうまいという言葉が私の耳には入ってきました。そのたびにもっとうまくなろうと思ったし、たくさん練習に励むことができました。成長して、お互いにプレースタイルが確立されてからはタイプも違うし、気にしなくはなってきましたが、やはりバッティングは敵わないようです。幼き頃、せっかく家にティーのネットがあるのに二人だとけんかして一緒にやらなかったのはいい思い出です。大学生になって二人暮らしはたくさんストレスを与えたかもしれないけど、いろいろと我慢してやってくれてありがとう。

・応援してくださっている方に一言
「感謝」
この4年間、本当に多くの方々に支えられ野球に打ち込むことができました。OB、OGの皆様、保護者の皆様、高校の同期、私に野球を教えてくださった指導者の方々、他にもたくさんの方々の応援が力になりました。心より、御礼申し上げます。大変お世話になりました。

・東京学芸大学硬式野球部で良かったこと
「出会い」
中野監督、数え切れないくらいの迷惑をおかけしました。早い段階から辛抱強く起用してくださりました。最後の秋のリーグ戦は、「任せる」と言ってくださったこと、とてもうれしかったです。最後の一年は、少しくらい監督の起用に応えることができたでしょうか。
徳地コーチ、いつだって行動で示してくださいました。何か気になることがあれば、的確にアドバイスを下さりました。また、私たちがより野球に打ち込めるよう、どんなものでも作ってくださり、どんなことでもやってくださいました。
大野先生、練習ができず苦心した時期に大変お世話になりました。本当にありがとうございました。
優しい先輩方、どれほど失礼な発言、態度を寛大な心で許していただいたことでしょう。後輩の私が練習に誘ったときには快く付き合ってくださる先輩。心中複雑な中、笑顔で「22」の背番号を私に託してくれた先輩。東京から離れていても頻繁に連絡をくれる先輩。他にも語り切れないほど、エピソードがあります。未熟な私は、先輩方がいなくなってから、とても甘えていたことに気づきました。いまでもご飯に連れてってくださったり、相談に乗ってくださったりとお世話になりっぱなしですが、これからもよろしくお願いします。
かわいい後輩たち、委縮させてしまうこともあったかもしれないけど、慕ってくれてありがとう。伝えたいことはもう書いたので、そっちを読んでください。
スタッフの方々、本当に頭が上がりません。私たち選手が野球に集中できるよう全力を尽くしてくださりました。学生コーチの皆さんは、練習メニューの統括から選手の起用、監督さんとのコミュニケーション、良くも悪くも多くの意見が出てくるうちの部活で「まとめる」ということは、本当に大変だったと思います。私はチーフになっても意見を出すだけで、仕事を増やしてしまいました。すいませんでした。マネージャーの皆さんは、まさしくこのチームの柱でした。リーグ戦では、運営のために朝早くから夜遅くまで、見えないところでも多くの仕事をなさっていたことと思います。データの集計をはじめ、果てしない作業だったと思います。それでも笑顔を絶やさず、決して選手には苦労を感じさせませんでした。凄すぎます。感謝の言葉は伝えきれないし、ここには書ききれません。少しでも結果で恩返しをと思っていたのですが、とても返しきれませんでした。ありがとうございました。後輩マネージャーたち、これからもこのチームをよろしくお願いします。
同期の特にキャッチャーの二人。仁志、キャッチングうますぎるよ。僕、まったくほめてもらえなくて悔しかったです。いつも最高のセンスで笑わせてくれてありがとう。栗原(水戸第一)、知識ありすぎだよ、まったく。いろいろなことに気づいて、多くのことを教えてくれました。来年からも同郷どうし仲良くよろしく。
まだまだ書ききれないくらい、多くの方々との出会いに恵まれました。ここで出会えた方々、過ごした時間、たくさんの経験、どれも私の宝物です。ありがとうございました。

次回は、大宮雄登(御殿場南)です。ぜひご覧ください!


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