引退メッセージ 後藤萌音

本日の引退メッセージは、いつも元気で明るく、主務としてチームを支えた後藤萌音(日立第一)です。ぜひ最後までご覧ください!

・4年間のベストプレー
自主練の後の消灯忘れを未然に防いだこと!

2.3年生の時、特に一個上の先輩方が遅くまで練習してることが多くて、私はおうちからグラウンドまで徒歩30秒なので、22時過ぎても電気がついていた時は先生に怒られないようにドラえ門を乗り越えて電気消しに行ってました(笑)

・4年間で嬉しかったこと
石井さん(R3卒)や優作(東京国際大学)と一緒に連盟役員ができたこと

連盟役員をやっていた2年の秋、当時は7チーム制のため1日3試合のハードスケジュールでした。毎週末は朝早く起きて球場につくのは朝7時前、夜は20時過ぎに球場を出て家につくのは夜22時近く。自チームの試合があろうとなかろうと、朝から晩まで毎週の土日がつぶれ、当時やっていた飲食のバイトをやめることになってしまったり、辛い時期でもありました。それでも、みんなで愚痴ったり、優作と一緒にボール拾いにいったり、あの時間が一番楽しかったです。
特に、当時連盟長だった手塚さんの誕生日をお祝いしたときに、手塚さんではなく、石井さんを中心にみんなで記念写真を撮ったのが、とても印象に残っていています。こんなに多くの人から愛される石井さんの後輩として、石井さんといろいろふかーいお話やおばあちゃんのお話などできて嬉しかったです。
すんごく辛い期間でしたが、あの時間は私の大学生活の中で本当に大切な思い出です。

・4年間で苦しかったこと
練習時間外の仕事

マネージャーの仕事は練習や試合外の時間にやる仕事もたくさんあって、みんなの自主練の累計時間に迫るかそれ以上やっていたと思う。でもその仕事の結果が目に見えてわからないから正直しんどかったです。
でも、後輩や先輩のマネージャーの頑張っている姿を見て、自分もしっかりしないと!って奮い立たせていました。

・チームに貢献できたこと
コミュニケーション能力

上で書いていますが、私は2年生の時に連盟役員をやっていました。私たちの代で連盟長になる同期の優作と仲良くなれたおかげで、春は特にリーグの動きや雨で試合がどうずれるか(あまり詳しく書くと長いので割愛します)などの国公立特有の難しいところを少しでもチームや公平性のためにとか考えてもらえてたなと思います。あの時仲良しになれてよかったです。

・後輩に一言
主務という肩書はあったけれど、特に主務らしい仕事はしてなくて、みんなに頼ってばっかだったけど、南柚ちゃん(山﨑/新4年/刈谷)、まなちー(遠藤/新4年/八戸)、彩愛ちゃん(大島/新4年/小山台)、ゆっこ(伊戸/新4年/金津)がすんごく仕事できる人だったから、「一人で全部背負わなくてもいいんだ」って思えるようになって、部活がきついなとか、行きたくないなとか思うことがだんだんなくなりました☺

いつもお願いした以上のものが返ってきて、みんな授業や自分の仕事で忙しいはずなのに、硬式野球の試合ができる近場の球場を一生懸命探してくれたり(これがなかなか見つからなくて大変)、データ打ち込んだり(これも単純作業で眠くなるし,途中でどこやってたかわからなくなるしで大変)、各自連絡とったりしてくれて本当に助かってたよ~~~~~~~。本当にありがとう。。。。一気にマネージャーの体制が変わって、大変なこととかもあるかもしれないけれど、頑張ってね!

ただ、本当にキツいときとか、自分の時間がなくなっちゃったりしそうになったら、やめるまではいかずとも、一週間くらい休部して自分の時間を大切にするのも大事だよ!(「リーグ戦期間中を除く」だけどね💦)

・家族に一言
大学進学で上京しても、定期的に連絡とっていたのでそんなに離れている感じはしていなかったけれど、やっぱりたまに東京にみんなで泊まりに来てくれて、帰りの車を見送るときは、毎回胸の奥がぎゅっとなって、寂しさに気づくことが多かったです。

「野球に関するお金は全部自分でやりくりする」という約束で、これまでバイトをして自分でやりくりしてきたけれど、やっぱり3年間も続けられたのは,野球以外にかかる学費や家賃、光熱費など生活に関わるほとんどを出してくれていたからだと思います。私が小さいころから、自分たちのしたいこと、買いたいものを我慢して、それを萌音や聖楽(妹)が大学へ行くための資金として温めてくれていたこと、バイトを経験して、それがいかにありがたいことかを肌で感じています。

大学に入ってから、たくさんの人に出会い、自分とは違った境遇の人と話す機会が増え,決して他と比べようと思ったわけではないけれど、自分がいかに幸せな環境で生活させてもらえていたのかを痛感しました。
パパとママが育ててくれたおかげで、いままで本当に人に恵まれた道を歩むことができたと思うし、これからもきっとそうなんだろうなと思います。

本当にありがとう。

 

・応援してくださっている方に一言
いつも東京学芸大野球部を応援してくださっている皆様、本当にありがとうございます!

コロナ禍のリーグ戦では、観戦者申請など少々面倒な手続きがあるにも関わらず、現地まで来て応援してくださったり、インスタライブを通してコメントやリアクションで応援してくださったり、本当に本当にありがとうございました。
弊部のSNSは基本マネージャーと学生コーチで管理しているのですが、中には選手だけでなく、スタッフ陣に対して応援のメッセージを送ってくださったり、声をかけてくださる方も多くいらっしゃり、その一言で報われた気がします。

特に大学北門の守衛所にいる後藤さんはいつも元気にお話してくれて、「1部になったんだね」とか、「明日試合頑張ってね」とかいろいろ話しかけてくれて、ちょっとへこんでた時も元気になれました。春のブログ、読んでくれていたと聞いていたので、このブログも読んでくれていると嬉しいです。

・東京学芸大学硬式野球部で良かったこと
●入部当初と比べて、圧倒的にデキる女に近づいたこと
私は高校生の時、筑波大野球部の見学会に参加させていただいたことがあり、保護者や選手の前で堂々と部のプレゼンを行い、キャンパスツアー等多くのイベントを回していた、当時主務をしていた福元孝太郎さんに憧れていました。実際に入学したのは弊学ですが、マネージャーとして3年過ごす中で、合宿やデータ関連でExcel業務をきっかけにショートカットキーなどを覚え、打ち込みが早くなり、電話対応やメールなど社会人に向けたやり取りが学ぶことができ、連盟では自分の極限を知り、SNS運用など、将来仕事で活かせる学びが多く、東京学芸大野球部のマネージャーでよかったと思っています。
おかげさまで就職活動中やバイト先でお褒めの言葉をいただくことが多かったです。

●みんなに会えたこと
東京学芸大野球部に入ったことで、たくさんの先輩後輩、そして同期とともにする時間ができました。その中で自分の人生観に刺激をもらったり、疲れた体に沁みる家系ラーメンに感動したり、秋田合宿で朝日を浴びて透き通る空と海を見ることができたり、部活の外でも旅行に行ったり誕生日会をしたり、いろいろな経験をすることができました。確かに忙しく、大変な3年間でしたが、野球部に入っていなかったら、こんなに充実した大学生活を過ごすことはできなかったと思います。みんなに会うことができて、私は幸せ者です。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。来年からは社会人として世に出ることになりますが、この3年間で経験したことを糧に、これからも頑張っていきたいと思います。これからも、東京学芸大学硬式野球部へのご声援、よろしくお願いいたします。
私も陰ながら応援します!!みんながんばれー!

4年生による引退メッセージ、次回は芝海周(松山東)です!そちらもぜひご覧ください!


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