最後の春に向けて -気持ち- 西原克俊

B類保健体育科4年西原克俊です。
僕は一年生の秋の大会に出るチャンスをもらい、何試合かリーグ戦を経験することができました。それまでは必死にプレーし、試合に出ることができて、純粋に楽しく野球をやることができました。
秋の大会が終わり、冬の練習が始まった頃から、チームから、自分の実力以上のものを、要求されているように感じ始めました。しかし、自分の気持ちの中では、なんとかこの立場を確立したい、居座りたいと考えるようになり、「ミスをしたくない」そんな消極的な気持ちで練習や、オープン戦に臨むようになりました。そんな精神状態では、全くいい結果など出るはずもなく、先輩からは「結果で応えてくれ」と言われ、同期からは「天狗になってんな、俺らの気持ちはわからないだろ」と言われ、「じゃあ逆に俺の気持ちはわかんのかよ」と何度も思いました。
そうしてるうちに、徐々に試合に出る機会が減っていき、仲間や新入生からは「なんであいつが試合に出てるの?」と言われるようになり、試合に出るのが怖くなりました。試合中、途中交代を言い渡されると、悔しい気持ちと安堵する自分に気がつきました。心は腐りきっていました。練習にも全く身が入らず、同期や後輩たちにも置いてかれたような気持ちになりました。そこで、こんな自分にもまだチャンスをくれるのなら、とりあえず試合に出ることができない人には恥じないプレーをしようと考えるようなりました。僕は結果で応えることはできない、「ならばせめて試合に出て応援される選手になりたい」と思い直しました。

それからは、心の中では腐っていても、「練習中にやる気がない奴が試合に出てたら、みんなはどう思うんだ?」と自分を奮い立たせ、グランドに立ったら気持ちを前面に出し、試合に出た時のために最善の準備をしようと思うようになりました。そしたら、悩んでいる時間がもったいない、腐ってても、やる気がなくても必死に練習をする。そんな最悪な状況でも、一つでもプラスに変えることの大事さに気づきました。
そして、去年の秋、仲間が1部への切符をつかんだ時、アルプスから応援をしていた自分は、喜びと悔しさを味わい、「試合に出てなくてもチームへ貢献できる仕事がある」と感じることができ、自分が置かれている立場それぞれにチームに貢献できる仕事があり、その仕事以上のことを返せるように、日々自分なりに最善の準備をして、今日も明日も明後日も「気持ち!気持ち!」と声をかけ、グランドに立ちたいと思います。


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