最後の春に向けてー仲間ー 高木結大

こんにちは。本日から、新4年生によるブログ企画、「最後の春に向けて」を行っていきます。1人目は、高木結大(4年/開智)です。

僕は、大学野球を通じて体力的・技術的向上をしたのみでなく上手くなりたい、もっと成長したいという貪欲さ・思考力の向上ができました(後1年で一層の飛躍を誓います)。
しかし、僕自身が本当に得たものは、結果を追い求めることではありませんでした。

それは【野球を純粋に楽しむこと】でした。

「技術的なことよりも精神的なことが重要である」というのは一種のお決まりなのかもしれませんが、僕の過ごした3年間では、これしか選びようがありませんでした。

僕は、ここに入部する前に「プロにでもなるわけじゃないのに野球をやってる意味はあるのか??」と問いかけられたことがあります。その当時は、胸をはって答えをだすことができませんでした。学芸大で野球をやり続けたのも、高校野球では上のレベルで戦えなかったからということが大きな理由です。

しかし、この問いかけに胸をはって答えられるときが最近になってきました。
それは、6月から1月までにかけての怪我からの離脱によるものでした。それまで当たり前のようにできていた野球ができなくなったとき、野球に対する意欲が大幅に減少しました。「大学まで野球をする意味とはなんだ?」来る日も来る日も頭をよぎりました。野球ができていた時を思い出すと、ただただ野球を楽しんでる自分がいました。そして、現在は野球が楽しくて仕方がありません。

 

 

(ここからが本題です)
今、こうして僕が野球を純粋に楽しめてるのは僕だけの力じゃありません。【仲間】の力があってこそです(僕が、仲間が大事というと違和感ですが)。
僕が仲間の偉大さに気づいたのは、高校生の時です。僕の最後の夏は同級生がいませんでした。周りが楽しんでいるのをみていると本当につらかったです。と同時に、同級生以外の後輩、監督等が僕を支えてくださり、同級生がいたとき以上に楽しさ、やりがいがありました。僕はこの時、本当に大事なのは友達ではなく仲間なのだと強く認識しました。
※ちなみに、仲間の定義は「長期間にわたって心をかよわせあう間柄」です。

僕自信、普段は毎日、誰かとつるんでいることはあまり得意ではないので、仲間とは無縁の存在だと思っています。しかし、僕の言う仲間とは、言語的活動を通して仲良くなるのではなく、お互いが接触をしなくても心が通じあってる集まりです。

学芸大の野球部は全員【仲間】だと思っています。
僕が野球を楽しめる環境をつくってくださり本当に感謝をしています。

最後に学芸大野球部は、多様な人たちが集まっています。多様な人たちがいられるのは、多様な活動を提供してくだっている監督、OB、個人の努力があるからだと思います。まだまだ多様性溢れるチームになる余地はあると思うので、僕も貢献できるよう精進してまいります。
この環境を主に提供してくださっている監督に恩返しができるよう、春で1部復帰をし、秋に1部の舞台で必ずや勝利をつかみ、胴上げをします。期待していてください。

長々とご清覧ありがとうございます。僕の野球人生はまだまだ続くのでご声援お願いします。これからも東京学芸大学硬式野球部への暖かい応援をお願い致します。

次回は、渡部雄貴(4年/会津)です。


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